2011年5月25日水曜日

聖書の宿題(場違い)

先週、5月21日は最後の審判の日なんてのが話題になり見事に外れました。

ノストラダムスの大予言』って本がアチキの中学時代にベストセラーになりました。
450刷以上の増版を重ねたというから出版社、印刷会社は笑いが止まらなかっただろうな。

最近では、マヤの予言やジュセリーノの予言といったものを目にします。
で、いち信徒として言っておかねばと思い、このblogを書いてます。

結論から言いますとこの天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(マタイ24:35)と聖書に書かれてますから、必ず起こります。

で、いつかと言うとそれは分かりません(^^;
ただそう遠くない将来です。

というのも第三神殿(ソロモンの神殿)を再建するという話が、しきりに話題になっているからです。
NO・1530ソロモンの神殿は再建されるのか?

なんでこれが終末予言と関係あるかというとこれもまた聖書に書かれているからです。

それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)(マタイ24:15)

これは第三神殿が建てられる日に解説されてます。

で、このサイトの管理者である久保有政氏なのですが、日ユ同祖論者でもあり、読み物としては結構面白い。教理的にはどうなのか分かりません。しかし、こと第三神殿に関しては他の研究者の意見と一致しているようです。異端でもないし。。。
しかし、まぁ怪しげというよりネタ的なムーブックスから出版するなよな~。信憑性がなくなるだろが。

ヒマな方、興味のある方はキリスト教読み物サイトでも読み漁ってください。

ですから、神殿が再建されずに審判の日がくるわけないのです。
ちなみにこれはアチキの属する教団とは何ら関係ありません。あくまで個人的見解です。



暇にまかせてもうひとつ。愛読しているblogから場違いな論議なる宿題がだされました。米つけしようかとも思ったのですが、アチキはひら信徒ですからこちらで(^^;

水草先生の見解は不安をかき消すために、お互い誰が一番偉いのかと論じないではいられなかったです。しかし、ルカ9:46-48のやり取りを読むとちと的外れな気が(ry
46 さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。
47 しかしイエスは彼らの心の中の考えを知っておられて、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、
48 彼らに言われた。「だれでも、このような子どもをわたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
弟子たちが心の不安をかき消すために論じてるのを知っていたイエスがこのような回答をするだろうか? そうであればパンはなくとも・・・で水草先生が記されたように
このとき、悪魔はすきっ腹の主イエスに対して「石をパンに変えてみよ」と誘惑した。「理想だけでは生きられまい。肉体がある以上、パンが必要ではないか」ということである。これに対して、「パンも必要だが、魂の糧の神のことばも必要だ。」などと間抜けな答えをしたら、「な、そうだろう。だから、石をパンに変えろと言っているんだよ。」と悪魔はさらに言い募ったにちがいない。
に近いトンチンカンな受け答えになってしまう。とは言うものの自分の見解はない。よって宿題となります。

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