2011年12月25日日曜日

福島原発事故

TBSテレビで「福島原発事故発生5日間~官邸緊迫の舞台ウラ~菅氏枝野氏斑目氏が新証言」を見た。
東電と官邸の言っている事実がこの期に及んでも違っている。そして何よりも以下の事実が語られていなかった。

毎日新聞の記者の目:福島第1原発の「収束宣言」を読んだ時、背筋がゾッとした。今でもそう。
 「第1原発も深刻だが、同様に深刻だった第2原発は奇跡的に冷却できたと認識できた」。5月下旬、現地視察した国際原子力機関(IAEA)調査団は、経済産業省幹部に対し「奇跡」という言葉を持ち出してねぎらった。

 津波後も一部電源が残った第2原発では、仮設ケーブルを柏崎刈羽原発(新潟県)などから集め、電気を通して4基の原子炉を冷却することが急務だった。作業員を大量投入して敷地の野球場フェンスを徹夜で撤去し、ヘリポートに改造、ケーブルを積んだヘリを社員の車20台のヘッドライトで誘導した。総延長9キロのケーブルを2日で敷設し、ぎりぎり冷却が間に合った。通常20日かかる作業だった。

 人海戦術ができたのは、地震発生が金曜日の午後で、協力企業の作業員数千人がたまたま施設内にいたためだ。「もし発生が翌日の土曜日だったらと思うとぞっとする」。IAEAに、第2原発の増田尚宏所長は証言した。

 そのころ第1原発では1~4号機が電源喪失で冷却機能を失った。最多の1535本(460トン)を保管する4号機の使用済み核燃料プールは沸騰。溶融すれば最悪の場合、首都圏の3000万人が避難を強いられる事態が目前だった。だが空だき直前、4号機内で起きた水素爆発の衝撃で核燃料プール横の別なプールの水が偶然、核燃料プールに流れ込み危機を免れた。

 2号機では、原子炉建屋の窓が、隣接する1号機の水素爆発の衝撃でたまたま開き、水素が排気されて建屋内の爆発が回避された。もし4号機プールが空だきとなり2号機も爆発したら、放射性物質の汚染は今の比ではなかった。

偶然、たまたまが重なって最悪の事態は免れたが、当時、この事実は知らされていなかった。事故直後、日本から逃げ出す外国駐在員のニュースを見て(大袈裟だな)と思っていたが、今となっては彼らの対応は間違っていなかった。国民をパニックに陥れないために政府官邸は「大丈夫」だという発表を繰り返していたが、どこまで正確に状況を把握していたのか疑問が残る。

今回の「収束宣言」にしても多分、再度、東日本大震災が起きないことを前提にしたものではないかと思う。同程度の地震が起きた場合、どうなるか? 
池田信夫先生は合理的意思決定の限界
東日本大震災のような巨大地震が近いうちに再発する確率はほぼゼロであり、それが原発のある地域で起こって大津波で(すでに耐震工事の終わった)予備電源装置を破壊する確率は、おそらく100万年に1度以下だろう。

オイオイ、耐震工事の終わったのは予備電源装置であって原子炉本体ではないでしょ。何より巨大地震が連動することは過去の歴史から学んでいるはず。スマトラ島沖地震はどうなるの? 

で、ググると「巨大地震活動期ってあるのか?また今回の東日本大地震の連動は?」にヒット
04年と05年のスマトラ島沖地震の関係を当てはめると、南なら房総沖、北なら津軽海峡や北海道のあったりでしょうか

海外に逃げる当てのない方は、政府発表を信じて次なる偶然、たまたまを期待するしかないでしょうね。

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